所感。長いよ、とても。
- CHAIN BREAKER
- 2017年7月20日
- 読了時間: 8分
どうも。立教大学ディスカッションセミナー3年の羽根川です。初めまして。
広報のやふみ君に変わり、ホームページの運営をさせていただいており、
この度まりんの部屋を開設させていただきました。特にテーマはありません。
さて、先日のアッセンブリー東日本予選を持ちましてプレーヤーを引退しました。
こんな機会もないので今までを振り返ってみます。
本当に振り返って思ったことを書き連ねるだけなので、
他セミの方はどうぞここで引き返してください。
「いやー!やっぱまりん気になるわぁー!」って方は、
どんどん読んじゃってください。
あ、長いから最後に簡潔にまとめます。
本題に移ろう。
先日のアッセンブリーの結果は、甲テーブル3位というものでした。
もちろん、ファイナリストになれなかったことや、100%のパフォーマンスを発揮できなかった部分でくやしさはある。でも、それ以上に「楽しかったなぁ!」というのが、一番に出てきた感情でもあった。
なんでなのかっていうのを考えてみると、このアッセン期というものが自分のディスを見つめなおすとてもいい時期になって、自分なりのスタイルを築けたからかな、とも思うし、なんか違う気もする。だがそれでいい!!
今まで「ディスカッションが一番!」という生活を送ってきたわけではない。これは引退するまで一緒。
他に楽しいことなんか沢山あったし、別に特段ディスカッション大好き人間だったわけでもない。ディスカッション好き度でいったら梶とか磯貝とかの方がはるかに上だろう。
毎回プレパやジョイントに顔を出すわけでもないし、個人プレパをそこまで頼んでもいなかった。
しかし、最初の春セミ期で転機を迎えることになる。
もともと負けず嫌いだった俺は、「負けるのが嫌だから」ディスカッションを頑張った。
ディスで勝つテクニックなんていくらでもあると思っていた。だから勝てる方法だけを学んだ。オピニオンプレゼンター、カンファメ、サジェスチョン、恐らくアーギュメント以外全部学んでいった。
関西遠征とかでも頑張ったつもりだったけど、春セミ期に初めて順位が付くことになり、さらにこの負けず嫌いに火が付くことになる。
試ジャッジの時は梶が上にいるくせに2カンでくすぶっていることに悔しかったこともあった。だから小セミで勝った時はそりゃ嬉しいよねwwwざまぁwww状態だった。
春セミ本番、3rdでは3位を取れて一応D-には残ることが出来た。
「2年D取りてぇ!」と口では言っていたが、いかんせん初めてだから取り方が分からない。でもこの瞬間その目標を達成できないことはわかって悔しかった。だから4thからは頑張った。
でも4thはひどいテーブルだった。介入量で言えば下から数えたほうが早いだろうし、もはや悔しいという気持ちすらも浮かばないほどだった。
しかしフタを開けてみると3位、5thD-キープというものだった。正直最後は2カンD-を取れた嬉しさであまりやる気はなかった。そんな中頑張ったガンツは素直にすごい。あの頃は好きじゃなかったけども。
ここで初めてランクを取って「あぁ、なんかやったなぁ」的な感情が生まれる。
まぁ言ってみちゃえば同期の中なら5本の指には入りますよ的な感じだったから、嬉しさ8割、負けたくない気持ち2割的な感じだった。
続くアッセンでも甲ランクを取ることになり、「あぁ、やったなぁ」っていう感情。
ここまで読んでくれた先輩には本当に怒られるのかもしれないけど、別にディスカッション好きでもない奴が、ランクの責任感も感じずに、ただ負けたくない一心でランカーになったという感じ。
でも、そのころの俺はこれもこれでありでしょ、と思ってた。
だって、競技だし。他人が口出せるもんじゃないし。
しかし、3年生というメインプレイヤーになった最初の春セミ、初めて少しここまでを反省する。
「やりたいディス」と「勝てるディス」のギャップにすこーしだけ悩み始める。
正直3rdぐらいまでなら適当なこと言ってたって、オーソリでなんとかなるわけですよ。
極端な話、全てのアーギュに「DA or not」で聞いてもS通ったレベルだったかもしれない。
だって、むしろそういうプレースタイルだったし。(笑)
これなら勝てて沢山の時間をコンパリに割けて、さぞ気持ちいいディスだっただろうと思う。
でもね、1年前の俺はそういう先輩がものすごく嫌いだった。
いやいや、一生懸命考えてきたのに2秒で終わったわwwとかザラにあったわけで。
あの時の先輩たちの姿を反面教師にして、そうはなりたくないと思った。
だから、ロジックをいろいろ考えてみた。
先輩に習ったのももちろん、自分なりに考えてみて、あの頃の俺ならどうすれば納得するかなぁ、と置き換えた。
初めて、「ケース」っていうのをしたのがこの時だ。
そしたら、他の大学の後輩たちからも「うまいですね!」って言われるようになった。
上から目線かよ、草生えるわとは思ったけど、褒められて伸びるタイプだからうれしかった。
去年の俺なら同じアーギュもタスクで流しただろう。でも、今はちゃんとコンテンツで切れるなぁ、あぁ成長したなぁ、と自分で感じることが出来て、これは嬉しかった。
でもね、これではコンパリには行けないんだよ。だから悩んだ。
俺が選んだのはコンパリに行けなくても、みんなの話をロジックに落として聞いてあげる事だった。なぜなら俺は先輩だから。
もしコンパリが5分しかできなくても、「こんな話し方もあるんだ!」って学んでくれる後輩が少しでもいればいいなと本気で思った。タスク流しなんて誰でもできるでしょww
ここから、いろんな大会が「勝負の場」そして、『後輩育成の場』のようにも感じていた。
春セミ本番、結局考えてきたコンパリアイディアは最長15分くらい(笑)
それでも俺は満足だった。
もちろん、圧倒して勝ちたかったから他の人には全くと言っていいほど介入はさせないけれど、それでもいろんなアプローチを展開できたつもりではある。
でもやっぱり4th以降はうまくいかないものだ。同じような実力のプレイヤーが集まってきちゃうと難しいよね、うん。オピメで勝ったって感じかな。ラッキー!(笑)
5thはもう役割を見つけられなかった。話にはついていってたけど、正直手も足も出なかった。
そして初めて「大学を背負う」ってことも感じられた。
立教からエキシビ出せたことを喜んでくれる人がいて、「あぁ、立教の代表として見られるのか」と自覚が芽生えたのはつい半年前の事なんですね。ハイ。(笑)
だから、手も足も出なかった自分が恥ずかしかった。
そしてアッセン期を迎えるわけです。
最初、まーったく気合いが入らなかった。
そんな時に、ある先輩からもらったメッセージがかなり響くわけですよ。
「周りを倒してエキシビにたどり着いた責任」「エキシビプレイヤーとして魅力的なディスする責任がお前にはある」というのは、某大学の「現」社会人1年目の先輩の言葉です。
そうだよね、関東5位ですもんね、責任ありますよ。でもその責任ってどう果たすの?って次の壁にぶち当たったわけです。
そこで俺が考えたのは
「いや、やっぱこいつすげぇわ(笑)勝てねぇわ(笑)」
って思われるのも1つのエキシビプレイヤー像としてはアリだよねってこと。
んで、再び身に付け始めたのは幸い1年生から頑張ってたアーギュ以外のお仕事。
オピメは春セミ期で得意だったから、他の第三者介入を頑張った。
こんなに色々出来ればすげぇ先輩って思われるでしょ!と思って、
1つのアーギュに対してバーデン振ったり、コンテンツで切ったりいろいろ頑張った。
もちろんアイディアを考えたりもした。でもね、俺には向いてないと思った。
だから俺は出さないことにしたんだけど・・・これが後に続く。
そして迎えたアッセン本番、甲テーブルに進むと立教が俺含め4人いた。
大学を背負ってる責任を感じてはいたけど、この時は「負けたくねぇ」っていう久々に純粋な感情を持ってた。(笑)そして、いげもいた。だから『後輩育成の場』だな、とも感じた。
初心と、先輩なりの考えをもって臨んだ、2年間の総決算のようなテーブルだったと今でも思う。
そこで何を考えたか、ワイ、ニュープロをその場で考えるの巻。
なんでそんなことしたかって?エキシビで何もできなくて悔しかったから。
言いたいことを言えないほどに、テーブル内において悔しいことはない。
だから、話したいことを話すためにニュープロを出した。言ったじゃん、アイディアはあったのよ。
もちろん、ひどかったな、あれは。でもみんなの助けで何とかなった気もする。
そりゃあ端から見ればひどいディスカッションだったかもしれない。
でもあのディスカッションで、言いたいことを言えなかった「エキシビプレイヤー(笑)」としての自分にも示しがついたし、何より2年前にディスを選んだ自分にも胸を張れる気がする。
ってな感じで引退をしたわけです。だから今は満足感でたくさんです。
まとめると、負けず嫌いで右も左も分からずランカーになったワイ、先輩や同期のおかげでディスを頑張る理由が沢山増えていき、頑張れる。最終的には「こいつには手届かねぇな・・・」っていう理想を追い求めるけど、やっぱり「負けたくねぇ!」っていう初心の気持ちを忘れずにディスをやって大満足で引退。ってわけです。
今思うと、春セミ期に三代目行ったりとかアッセン前総選挙見に行ったりとか申し訳なかったけど、「こいつ、そんなん行ってても勝てるんかいww」的な像を作り上げるためには必要なイベントでしたね。でもほんとごめんなさい。
ただ、最後に1つだけまだ分からなくて困っていることがあります。
「プレパして成長したなぁ」と実感したことがありません。
成長できる場はいつもテーブル、大会でした。
まぁ、それが俺のやり方でした。個人プレパとかもあんまり性には合ってなかったような気もする。
とにかくテーブル組んで、勝って気持ちよくなって、同時に出来なくて悔しかったこと思い出して、負けたくなくて頑張って・・・っていう繰り返しの2年間だったかな。
あと、リフレは自分で考えるのが最初に来るべき。自分で思ったこととチェアパさんが思ったことがかぶる部分が最優先事項。
そしてその最優先事項をプレパで消化していく。
だから、ただのプレパ=上達っていう考えは間違い。
そして、最初に来るべきプレパはテーブルを組む事。
だと、俺は思います。
長くなりましたが、ここで一句。
天然水 六文字変えると 天安門
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